見どころ紹介

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33.笠置神社(笠置神社前社)

郷蔵の南約500m の鳥居(とりい)平(だいら)にある。江戸時代には笠木山大権現の御借社として
人々の信仰を集めた。明治以後は、産土神の『笠置神社』となった。(町P96) 
雨乞いの神社としても有名で、近隣各地への『お鎌様』の貸し出しが多く、お礼として鎌一対の奉納がされた。     (柘植功著 日本の真ん中中野方P22)
笠置山の頂上に祀られている笠置神社は明治以後、奥社と呼ばれている。頂上の神社は平安時代の中頃、花山法王が山頂に神社をと願われ一社創立とあるが、その時期は火災により不明である。祀られている神は笠木山(かさぎやま)大権現(だいごんげん)と称される神仏習合の社である。
※花山法王…花山天皇は京都府生まれ 日本の第65代天皇(平安時代中期)。2年間で仏門に入り在位を退き、晩年に帰京するまで巡礼生活を送った。様々な碑等を残している。
※笠置山と名付けられたのはいつか…笠木山大権現の別当清(せい)宝院(ほういん)によって作られたと思われる「笠置山縁起書」によると、元この山は『舟伏山(ふなふせやま)』と呼ばれていたが、花山法王が山の形が都の笠置山に似ていると「眺めつつ笠置の山と名付けしはこれも笠置くしるしなりけり」という歌を詠まれたことから『笠置山』と呼ぶようになったと書かれている。しかし、明治維新以前の文書、記録には『笠木(かさぎ)』の文字が使われ、太田南畝(蜀仙人)が享和2年(1802 江戸時代後期)中山道を通過した時の『手戍紀行』にも『お笠着山』と書き、「俗に大明神の笠めし山といえり」と記している。神社名を『笠置(かさぎ)神社』と改名したのは明治3年(1870)社人『各務広任』が苗木藩庁に報告した神社記が最初である (「笠置神社旧記集」井戸義量氏所蔵)

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